君の瞳に完敗

ただの学生粕ヲタクの独り言ブログです\( ˆoˆ )/♡とっても稀に更新します♡

21卒ジャニヲタ就活記録【前編】

季節は秋。

内定式の季節になったので、自分のために絶対書こうと決めていた就活ブログを書きます。

就活中は数多のジャニヲタの先輩がたの就活ブログを見て共感して頑張りました。

このブログがこれから就活をする人へのわずかな支え、そして反面教師になればいいなと思ってます。

 

結論から言って、私の就活は「妥協」です。

就活生としても「サイアク」だったと思います。

まあコロナのせいにさせてもらいますが(こういうとこですヨ、私)

 

でも、最終的に、私が就活に対して

「は?私を取らないなんて、本当見る目がないね!」

という強気なスタンスで、取り組んでいたことが良かったのではないでしょうか。

まあ、想定より時間はかかりましたが!!(笑)

 

とはいえ、大学入学前から就活っぽいことは始まっていたので、まずは4年生になるまでのお話を今回は書きたいと思います。

 

【大学入学前のお話】

私は高校入試に失敗しているので、大学は絶対失敗したくありませんでした。

高校生の時は相変わらずあほなヲタクだったので、

「ジャニーズに関われる仕事がいいなあ」とか「芸能界に関われる仕事おもしろそう」とかそんなことを思っていました。

同時に、小さい頃から祖母に「おしゃべりが上手だからアナウンサーになれば?」と言われていたこともあり、アナウンサーにも憧れていました。

 

でも高1は漠然と、音楽教師になろうかと思い、教育学部、音楽系の学部を見ていました。

高2くらいのときに、ananやHanakoでおなじみの出版社の募集要項や、有名な女優さんがたくさんいる芸能プロダクションの募集要項を初めて見ました。

バカな私は、「あ、とりあえず大学2年くらいまでに免許取ろう」と思ったくらいでしたが(笑)

高2の時に、今通っている大学の卒業生を調べ、メディア、アナウンサーの進路が多く、特に当時のキー局の新人アナウンサーに1人内定したということもあり、そこを第一志望にしました。

 

【大学1年生】

なんとか志望大学に合格し、進学した私は、とりあえず教職を取ることが出来るように、教職論の授業や、教職の必須授業である日本国憲法の授業を取り、それと並行してメディアや広告の仕事に興味があったので、その関連の授業を好んで取りました。

自由が増えたこともあり、平均して月に1回は現場に行くような生活をしていました。

大学1年生で1番の思い出は、レア番協にいくつか参加できたことですね。

特に『愛なんだ』の野外収録は色んな奇跡が重なって最前列のド真ん中でめっちゃ写りこみました(笑)

内定先の最終面接でも話した気がするし、何社か話したくらいに大ニュースでした。

楽しかったな、V6、今年25周年なのに会えないの悲しいな。

 

あと、1年生は憧れていたダンスサークルに入ったものの、練習しても元々の経験値もなく、運動も苦手で大学の授業と課題との両立に苦しみました。

あと、先輩の1人がめっちゃ私のこと嫌いで、合ってても一生怒られた・・・他の子にも先輩にも「あってるよ」とは言われたのに(笑)

大変でもいつも通りの態度で接そうとしてたのに、私が出来なすぎるのもあって、露骨になんか微妙な感じになる周りとの温度差に違和感を感じつつ、続けることにしたのだけど、この話もちょっと就活に影響してきます。

 

【大学2年生】

1つ上の先輩が大好きで、サークルを続けることにした私。

春はめっちゃ頑張ってた。でも、徐々に将来について考えるようになって、サークルに全力投球していていいのか分からなくなってきました。

そもそも、他のことが全くできなくなるような忙しさに疑問もあった()

そして、春から徐々に身体に異変が起きることが増えてきました。

  • 踊ってる最中に、顔が熱くなって、息が出来なくなり、視界がゆがんで立てなくなる。
  • 謎の湿疹が大量に急にできる。
  • めちゃくちゃ胃が痛くなる。(※これに関しては秋に悪化して胃カメラまで飲みました。)

今考えても、やめなよ案件(笑)

特に夏休み後半、後期開始からは、定期公演に向けて忙しいのに必修授業もハードで、頼れる人もいない状況(クラス分けで仲のいい子がいなかった)で、マジで毎日死ぬ方法とか検索してた(笑)

 

 

そんな多忙さがマックスになる前の夏休み前半、アナウンススクールの3日間短期クラス(基礎科)に参加しました。

当時2年生の私は、3年生が意外と多くいたこと、そしてみんなアナウンサー以外の夢を持つ人も含めて、女の子は容姿が良いこと、声がでかいと言われて生きてきたのに、全然声が出ていないと言われたこと、など色々な現実に衝撃を受けます。

結構隣の席になった子が有名な読モだったし、宝塚を受けたことがある子とかいたし、地方から来てた1つ上の男の子は何故かJUMPのタオル持ってたし(笑)

そして1人、既卒で秋採用で地方局に決まって、研修の代わりに来ていたお姉さんがいました。

1年生の時に登録した写真と、その時のお姉さんは別人かのように垢ぬけて、「アナウンサーらしく」なっていました。

他にも、スクール経験がないのに、地元の金融機関に就職してからアナ就活してケーブルテレビの内定はある子とか、たくさんすごい人ばかりでした。

でもちょっと本気になった。

家で声出しするとうるさいとか言われるから全然練習できなくて悲しかったけど・・・。

この短期講習で学んだ、「自分ノート」を作ることというのは結局やらなかったけど、自分のターニングポイントや、気持ちが動くこと、本当にやりたいことを見つめなおして、強みとか、長所・短所について考えてまとめるようになったの、これが1番使えたなあ。

 

2年生の夏には、インターンではなくて、研修のようなプログラムで香港ディズニーランドに行きました。これも良い経験だったな。自分の好きなこと、価値、色々見つめなおすきっかけになりました。

就活に影響したかはしらないけど、次の年に、友達と1からプラン組んで英語で色々やり取りしながらもう1回行くくらいの行動力はついたよ!

 

 あ、あと、8月に高校時代からの目標の(?)免許取りました!

2月の終わりから通ってて、時間かけすぎたけど!

 

 

 

そして、冬、サークルの公演が終わって、続けるか悩んだ。

次の年の会場代を先に3万も払う必要があったし、衣装とかもろもろですでにお金なかったし。

そもそも3年の冬まで全く就活できないのは、当時アナウンサーになりたかった私には無理でした。

幹部になるのにやめるの?今やめるの?とかいろんな人、親にまで言われたし、悩んでるの話せた子は2,3人しかいなかったけど、辞めました。

辞めて、「逃げた」という気持ちはずっと残ってるし、なんかちょっと傷はあるけど、

めっちゃ楽しく3年生はすごせましたよ!!!!

 

【大学3年生】

そんな、サークルをやめて1年目。

そういえば、ストレスで死にそうになるもう1つの原因の塾講師もやめて、完全に身なりが自由になりました(笑)

ジェルネイルをしまくり、髪もヘアドネーションで久しぶりに短くし、楽しんでいました。

 

香港ディズニーランド旅行のお金を稼ぐために、ちょっとだけテレホンアポインターのバイトをして、電話営業の大変さを知りました。

授業の問題と、最低勤務時間、扶養の問題、そして声を枯らしまくるのでやめましたが、電話口で突然怒られることもあるので、電話が平気になりました!!

これ、収穫(笑)

 

あと、母親がうるさいので(笑)、

三宅健くんが出演する六本木歌舞伎『羅生門』の初日公演の前に、渋谷ヒカリエで開催されていた就活イベントに行きました。これは2月の終わりの話です。

「3年生大歓迎」とあったけど、ほぼ4年生。当たり前に4年生。

でもまあ、収穫はあって、今まで行きたいと思っていたところ以外に選択肢を増やせたかなあ。

 

そしてアナウンサーのインターンは春から始まりますね。

フジはゼミ合宿と被っていて、通らないにしてもちょっと嫌だったので、説明会には行ったけどエントリーしなかった。

他のキー局は全部した?気がする・・・テレ東はしてないかも・・・

ちょっとここは曖昧ですが、テレ朝、日テレ、TBSの順に出したことを覚えています。

TBSは証明写真、アップ、全身の3枚の写真と、志望動機くらいしかなくて、

「マジで顔じゃんか・・・・」と失望しました♪()

 

文章考えたり、写真選んだり、動画撮ったり、本当に大変だったし、

色んな友達が助けてくれた。ありがとうみんな。

まあ、黒いネイルで撮った写真だったし、シンプルにブスで、平均体重でも太ってるような世界では当たり前に門前払いです。

 

そして、8月8日、Jr.祭りの東京ドームに入った瞬間、チャンネル8の局の採用スタートメールが来て、はええよ!!!」と突っ込みました。

そして、出さないという(笑)

出せるわけないですよね、あんなに泣いててぐずぐずで様子のおかしい自担たちを観たら、そりゃ病みます・・・

 

 

8月の終わりに、サンリオエキスポに招待されて、小さい頃から憧れのサンリオ本社に行きました。

ここで働きたいなと思うくらい、素敵な社員さんばかりだったし、ちょうど20卒の内定者が見学していました。

 

9月の頭に、ひょんなことから知った、アプリを作っているIT企業へインターン

参加者も少ないし、大阪との中継で進むし、今なら当たり前のリモート感を味わいました(笑)

年下の子ばかりだったので、自分が学んだことを活かさねば!と最初は焦りましたが、お互いの得意なところを活かして、良い経験が出来たと思います。

このインターンで、「企画・営業の仕事も良いかもな」と思うようになりました。

余談ですが、インターン期間中にジャニーさんのお別れ会があったので、帰りにドームに寄りました。(スーパー元気)

 

記憶が曖昧だけど、あまりにも何もしない私を友達が誘ってくれて、秋に就活イベントで展示場まで行ったわ。

色々な企業の話聞けて楽しかったし、自分は意外とウェディングとかに惹かれるのね、と思った(笑)

 

冬。

本採用のエントリーがかなり始まってきました。

最初にエントリーしたのは、令和の就活ヘアーを唱えてる某外資系企業でした。

意味不明な記憶力テストみたいなのに苦戦して、当たり前にお祈りされたし、

「21卒だけでなく、22卒もエントリーできないよ」という旨の連絡来てビビった記憶があります。

いや、こわ(笑)どんだけ私使えないんだよ(笑)

しかも連絡が遅くて困った(笑)

手伝うはずのサークルの公演と次のフローの日程が被っていたので、

行けるかいけないかの連絡もできず、分かった時には直前過ぎて、連絡したけど無視されました。ははは。無視はねえだろ、こっちも悪いけど。辞めて良かったなとか思ったよ。(コラ)

エントリーは、JUMPの京セラドームに行く直前にして、締め切りが京セラ期間(確か延期したけど)で、結果が京セラから1週間後とかでした。

つまり知念くんの誕生日前から光くんの誕生日後あたりですね!!(わかりにくい)

 

そして、年明けすぐ?年明け前?忘れたけど、その少し後に、私が長年愛読しているアイドル誌「My〇j〇」(伏字の意味がない)の出版社をはじめ、大手の募集要項、エントリーシートの公開、応募などが始まりました。

 

3年生の時にやってよかったことは、

通らなかったし、ひどい内容だったにせよ、

かなり特殊で内容が濃いテレビ局のインターン用ESを何社も夜な夜な書いたこと、動画エントリーの動画をたくさん撮ったことでした。しかもアナウンサーのESは手書きだったので、本当に大変だった(笑)

この経験が、就活が本格化したときのES作業へのハードルをかなり下げた気がします。

 

そして、解禁ボーダーもなくなり、オリンピックがあるので、年が明けるとすぐにエントリーが始まるところがたくさんありました。

 

とはいえ、ほとんどは3月1日。日付変わった瞬間に、たくさんエントリーしました。

40はプレエントリーした。

そんなことをして、夜中までピリピリしてた結果、翌朝の早朝バイトで初めて立っていられなくなり、早退しました(-_-;)

 

春休みは、ぼちぼちオンライン説明会をみたり、コロナが国内に来たけどまだやっていた対面説明会に行ったりしてました。

1番行きたかったサンリオの対面説明会が中止になってしまったのは悲しかったけど。

 

食わず嫌いだったキャリアセンターにも行きました。

結構よくて、一時期は毎週行ってたなあ。

まあ1人のカウンセラーは私が「何も知らない」と言っているのに、「え?知らないの???」とか言ってくるし、悩んでるのに投げやりだしで最悪だったけど(笑)

マジで人の話を聞いてほしい、カウンセラーなんだから(笑)

しかしそこで初めてガクチカ(※学生時代に力を入れたことの略)等の理想的な書き方(この時点で私は就活がわからなくなった(笑))を知れてよかったよ・・・

 

そして、3月の終わりは手書きもネットも含め、締め切り祭りでした。

家族旅行もあり、何社も被って、エントリーシートが考えられないところ、入社してからの自分が見えなそうなところ、書いていて病み始めた某出版社は辞めました。

 

アナウンサーも、自分のルックスや経歴、今の社会の価値観で働くことはできないし、

3年生の間にワークライフバランスについてやジェンダーについてもっと考えるようになって、エントリーをやめました。

とはいえ、未練たらたらだったので(笑)、既にインターンで内々出してて、ほぼ取る気がないだろうと言われていた日テレだけ出したのかな??(笑)

 

初めてESが通ったのは、アイドル誌読みまくってるところ。

めっちゃ「ヲタクごとで1週間の間にこんなにアホな移動をしたよ!」みたいなアピール書いてたけど通った(笑)

アナウンサーインターンのESでだいぶ鍛えられていたので、突然の白紙・自由記述・スナップESも慣れっこでした。むしろそこが好きだった。

てか、全然関係ないけど、この企業のエントリー前に通過ESの話とか見てたら、健くんから花束貰うファンサの話書いてる人出てきて、心の中で燃やしたよね(物騒)

そんなこんなで、とおったけれども、

テストが例年は会場で、どういうのが出るか調べていたので、その対策をしていた私は、コロナでオンラインのSPIになってしまってここでお祈り。非言語が出来なすぎる。

エントリーの段階で調べた限りは、SPIを使う企業が少なかったので、対策をしませんでした。

過去問とか英検でも全然やらないし、そもそもテキスト何がいいかとか分からなかったし、もう学校に行けなくなっていたので、相談することもできなかった・・。

まあこのあたりから、クズさが垣間見えますね!(元気に言うことではない)

 

何社か同じようにESだけ通って、テスト受けて、お祈り。

ES落ちることもあったけど、2月に偶然会って話を聞いた先輩の言った通り、

「ESは通るんだな」と思った。

ちなみに、「自分がなりたい理想の上司像」という項目でTravis Japan川島如恵留くんを書いたクリニックは落ちました(笑)

のんのん良いと思ったのになあ・・(多分理由そこじゃない)

 

直前に速達で出す日々。

そんな中、速達で慌てて出した履歴書郵送の1社目、ここも小学生から長く聴いているラジオ局の書類が通った。

テストは何も対策しなかったけど、過去の傾向とか見てて、とりあえず会場で筆記なら考えているメモとか、そういうのも見るだろうなと思って解いた。

本屋大賞グラミー賞をちゃんと覚えていなかったし、

PCのキーボードの規則だと分かっているのに答えが分からなくて落ちた、と思ったけど、4月に通った連絡がきた。

テストに初めて通った企業でした。

たまたまその局でよく流れているCMの内容で聴いたことのある、サンリオキャラクターの問題が分かったからかな、

たまたま前日に見たクイズ番組で出たものと同じ漢字の問題が出たからかな、

作文が良かったからかな、

とかいろいろ考えるくらい嬉しくて、面接再開はいつか分からなかったけど、

過去の傾向をしっかりチェックしました。(まあこれはもう4月なので4年生)

 

 

3年生はこんな感じで、ちょくちょくセミナー・説明会に行って、エントリーして、テスト受けたくらいでした。

やってる方だよとか言われたけど、今思うとそんなことなくて、マジで適性検査の勉強をしろと言いたいです(笑)

これを読んでいる人も、マジで今すぐ適性検査について調べて、取り掛かったほうが良いです!!!特に!!!!数学捨てた私文の同志よ!!!!!!(数B全部埋めて4点だったことがある私文21卒の叫び)

 

4年生になるまでの就活の話はここまで!

後編では4年生になり、本格化した就活、そしてコロナ、そして採用中止、お祈り祭り、大学生は一生オンラインで発狂しだす話です(笑)

ESに書いていたこととかもっと書きたいな。ヲタク全開で出したよ。

ジャニヲタはね、恥じなくていいんだよ!立派な武器になります。

 

 

ここまでで6000字越え!ほぼ7000字!!これでも割愛しまくっているのに!!

如恵留くんのウェブ、「とらまる」よりは短いけど、ここまで読んだ人、すごい!!!

次もきっと同じくらいでしょう(笑)

というか私、書きすぎ!!!(笑)

 

 

 

後編へ続く!